「走る/曲がる/止まる」はすでに自動車の本質を言い当てていないという記述を目にするようになった。化石燃料エンジンとはまったく性質の異なるモーターが動力源になったり、クルマは所有する財産じゃなくて、これからはMaaSですよ!なんて言葉を当の自動車メーカーが言い出すような世の中だから、それらを是とする視点に立てば、動作評価の着眼点が違ってくるのは当然だ。自動車好きを自認する筆者としては、自動車を取り巻くそんな変化にも気を配っていきたいとは思うが、人が操縦する機械として自動車を捉えるなら、「走る/曲がる/止まる」はまだまだ絶対的な指標だと思う。なぜなら自動車という工業製品の現実世界における最優先案件は「安全」だからだ。そこにはガソリンも電気も関係ない。ただ「安全」の達成方法が動力や制御の方法次第で如何に異なるのか、議論や掘り下げはもっとやっても良いと思う。
安全に気持ちよく運転できるクルマは「走る/曲がる/止まる」が高次元でバランスしていて、操縦に対して動作という結果を遅滞なく返してくる。どこの国のどこのブランドかを問わず、運転とクルマの動作に量的だったり時間的なズレを感じる自動車はいやだ。また「加速だけはいいのに」とか「旋回だけは最高」という自動車も(存在するなら)、やはりダメな自動車だ。大切なのは要素ごとの達成度合いが均衡していることだ。レベルが高くても低くても、「走る/曲がる/止まる」がバランスしてさえいれば、運転手として対処のしようがある。
そういうクルマ、作業と動作がリニアな関係のクルマ、そういうのにだけ乗りたいのだ、筆者は。それはエンジンの排気量とかトランスミッションの形式とか、乗車定員とかボディ形状なんかには多分関係ないはずだ。普段筆者は敬遠しているが、背の高い箱型のクルマにだって、運転すると気持ち良いクルマはあるだろう。実際フィアット 500X(の2WDバージョン)、ジープ レネゲードは、SUVらしからぬ走りに感心した。ロドっちこと息子のNCロードスターは、2週間ぶりでもまったく違和感なく即運転できる。家人のシトロエン C3は各要素は緩いが、緩さのバランスが一定なので安心して運転できる上に、気張らなくていいから身体的にもすごく楽だ。
2015年、レネゲードの
デビューの頃、
今は亡きMiToと
コクピットの画像しかなかった、
フィアット 500X
上で具体的に車名を挙げたもの以外にも、「走る/曲がる/止まる」がきれいにバランスしているクルマは多々ある。それらが光り輝くのは相対的にそうじゃないダメな車が多いからとも言えるわけで、つまり筆者は、化石燃料エンジンを積んだ自動車は、まだまだ良くなる余地があると思っているのだ。100年以上作り続けている工業製品だが、まだブラッシュアップできる。いや、ヴェイロンを超えろっていうわけじゃない。地方都市の普通の家庭が2台目に買うような、廉価を以て善しとするような自動車も、健やかに安全に運転できるものになっていてほしいのだ。
必要十分に加速し、ハンドルを切れば遅滞なく旋回し、自信をもって停止することができる。そういうもので良い。そういうものが良い。そしてそういうクルマがまだ少ないのなら(実際少ないと思う)、まずは既存技術でそういうクルマをたくさん作ってほしい。100年以上ブラッシュアップを続けてもなおボンクラな製品が横溢する現状を直視しないような物言いに、耳目を貸す必要はない。