
アバルト プントエヴォの速度計
2021年10月の定期レポートに、年寄りの愚痴みたいなことを書いてしまった。液晶ディスプレイに表示される「絵」じゃ、気分が盛り上がらないYO!という、早い話が情緒の問題だ。一方で速度計や回転計を代表とするメーターの機能面から考えると一概にそうとも言い切れない。アナログとディスプレイ方式ではどちらが優れているのだろうか。
例えばディスプレイ方式では、一時期のホンダ車両は速度は数字表示、タコはバーグラフだった。筆者の最初のマイカー、ホンダ シティターボ(初代)もそうだったし、以前じっくり運転させていただいたalfa_manbowさんのS2000もそうだ。ホンダに限らずトヨタ ソアラなんかもそうだったし、90年代後半は全世界的にそういう傾向があった。時代が下り、経費と工程削減、軽量化の一助として液晶ディスプレイが蔓延りつつあるのは、理屈ではわかる。
おもしろく思うのは、技術的進化の結晶としてのディスプレイに、クラシックな「2眼式メーターの絵」を描画することがなくならないことだ。その背景には高精細・多色使いが技術的に可能になったことがあるだろう。一部のブランドや車種へ、ユーザーがヘリテイジやレガシー的なものを求めるという事情もあるのだろう。自動車はマーケティングやユーザー調査の結果が重用される「商品」だから、それはある意味で当然だとしても、メーカーは先端技術でクラシック技術をなぞるというパラドックスにマヒしているのかもしれない。

プジョー 207の速度計
もっともこれは「趣味性」や「ブランドイメージ」などという、数値化できない要素が売れ行きを左右する「公道用市販車」だからでもある。冒頭に書いた情緒の問題である。68年式筆者が持つ自動車のイメージは、アナログメーターでインプリンティングされている。運転中に視認したい情報のツートップはやはり速度とエンジン回転数であり、そのふたつの情報を得る道具として、アナログメーターで必要充分なことは間違いない。しかし高精細な針の動きをする高級アナログメーターと、そうじゃないものがあるのも事実で、機械として優れたものが搭載されていてほしいのは、オーナーとしては当然の希望である。これもまた数値化が難しい情緒の問題である。同じ視点から、メーター内の数字のレタリングにも、洗練と無粋の格差があると思う。老母のトヨタ パッソをたまに運転することがあるが、運転席正面に不必要に大きく場所を取る速度計の、そのレタリングを見るたびに気分が萎える。これなどは情緒の問題を飛び越えて、安全装備の視点にまで話が及ぶだろう。運転手の精神状態を萎えさせるものは、本来運転手の視線の中にあるべきではない。

アルファロメオ MiTo 1.4T sportのメータークラスタ
単純に「ディスプレイ方式だからできること」も当然ある。メータークラスタ内にナビ画面を表示できるのは特に良い。確かポルシェ 911(開発コードナンバーは失念)で初めて見たはず。流石にあの5連メーターのうちのひとつという大きさでは、日本国内では使用に耐えないとも思うが、運転手の視界を邪魔しないという意味では、HUDよりも優れていると思う(ここは意見の別れるところではあろう)。
先のエントリーのコメント欄でのやり取りではっきり自覚した。これはアナログメーターかデジタル描画かという狭義の問題ではなく、運転環境、マンマシンインターフェイス構築の理路という問題なのだ。設計やデザインの現場で、知見とノウハウが正しく継承されていくことを切に望む。