作品についての感想や考えをここには書かないが、その映像に映し出された飯舘村の景色はとても魅力的だった。ツーリング目的地としてネットで情報を集めていたら、「村カフェ753」というお店を見つけた。753は「なごみ」と読み、自家製ベーグルも販売しているという。こうなると居ても立ってもいられず、家人を伴いシトロエン C3で出かけた。
飯舘村はどこにあるのか?大ざっぱに言えば福島県相馬市と南相馬市と飯舘村を三角形で結んだ西の先端である。往路を3とおり考えた。①海沿いを相馬まで南下して西南に進む ②宮城県丸森町から南に進む ③霊山方面から南東へ進む である。このうち③は先日郡山へのコースとして走破したばかりで新鮮味が薄い。②は一直線に南下できる道がなく、東や西へ大回りする必要がある。消去法で①で行くことにする。3月に宮城と福島の県境までは走ったが、それより南は(震災以降では)初めて走る。そして③で帰ってくれば良い。よしよし。753は10時開店らしいから、昼食を中心に考え到着を11時過ぎと定め、当日は朝8時に自宅を出発した。
岩沼海浜緑地公園で行き止まり……
ところが仙台から名取へ抜ける海沿いの道で大失敗してしまった。自宅からはまず東に向かった。市街地を抜け仙台港くらいまでは実に順調だった。しかし南下し始めてすぐに極端にトラフィックペースが悪化した。思えば以前もこのあたりでの大渋滞を体験していたのだが、どうやらこの周辺は慢性的にダメらしい。流通と工事車両が著しく多いところから考えるに、そもそも一般車両は走るべきではないのかもしれない。辛抱たまらずR4まで戻り、名取市役所付近まで馬鹿正直にR4を南下。平日午前中にR4のこの付近を走ることなど滅多にないので、これはこれで良いとしよう。再びK10に戻り、福島県相馬市の松川浦を目指してひたすら南下する。
山元町震災遺構中浜小学校
亘理町で家人と運転を交替したのだが、家人ですらあくびを連発するまっっっっすぐな道。津波被害によって作り直された道だからということもあるだろうが、景色も単調である。眠気覚ましのガムでも買おうと相馬市の「道の駅そうま」へ立ち寄る。おそるべし、ここまでに3時間を費やしてしまっていた。しかも真夏日である。なんだか疲れてしまった。
と、少々低調な我々だったのだが、道の駅そうまから飯舘村への道のりは大逆転の大勝利だった。里山と里山をつなぐ、交通量極少の田園地帯を縫う道。福島県の景色は横長と常々思っていたが(宮城県の景色は縦長)、相馬-南相馬-飯舘への道を実際に走ってみれば、そうとばかりは言い切れないことがわかる。また道路周辺の民家も実に趣深く、飯舘村へ近づくにつれそれなりの峠道のようなパートもあらわれ退屈しない。急に元気になってきた。
一部の人には有名な南相馬市・栃窪簡易郵便局
なんと蔵が郵便局なのだ
「いいたて村の道の駅までい館」を目印に西進する。753はそのまでい館のすぐ西にあるのだが、木立があったりコーナーの途中にあったりして道路から建物が認識しにくい。駐車場へC3を停めるとお店から女性が出てきた。ベーグルが残り少なく完売の看板を出そうと思っていたという。「少ししか残ってないんですけど、いいですか?」と問われたが、ここまで来て「んじゃいいです」はあり得ない。品揃えを見せていただくことにして入店。
古民家をリノベーションしたという店内は、ひんやりとうす暗い。東北地方の古い建物は、屋根が重厚で軒先が深く、直接入ってくる日光が少ないから室内が暗いという印象があるが、753の店内は明るい外の景色と適度な暗さの室内との対比がむしろ目に気持ち良い。もちろん現代のカフェとして窓は大きく取られているのだが、この日のような真夏の太陽の陽を充分に和らげてくれている。
コロナ禍や人手不足のために現在カフェ営業はお休みされていて、そんな気持ち良い店内で食事ができないのが残念だ。とりあえず残った店売用のベーグル類を全て買い占め、女主と少しおしゃべり。これは帰宅後の話になるが、ここンちのベーグルが滅法美味かった。ベーグルは油脂類を使わないという製法上の特徴があり、病持ちの筆者にぴったりの健康食である反面、その特徴ゆえか、今まではどうにも「パンチの足りないパン」と見ていたのだが、753のベーグルでそれは完全上書きされてしまった。753のベーグルはうまい。
初めて訪れた里山の12:30過ぎに昼食のあてが無くなってしまうのは、本来フェイタルなインシデントである。だが幸い我々にはリカバリープランがあった。さっき通り過ぎた「いいたて村の道の駅までい館」の食堂である。
メニューの全体像は上記リンク先で確認していただきたいのだが、グランドメニューに非掲載のものもある。それは1日○食限定の手打ちそばだったり、持ち帰り的な惣菜類だったりする。ソースカツ丼や豚丼に心を動かされたが、ここは辛抱して単品のメンチカツとカレーコロッケをひとつづつ、それにご飯セット(ご飯・味噌汁・漬物)を組み合わせてみる。家人がオーダーしたラーメンと折半すれば、かなり豪華な昼ご飯である。やったね。
までい館の裏に広大な芝生の庭が広がっていて、金属彫刻作品やすべり台など、どうにも気になる遊具と建物がちりばめられている。「ふかや風の子広場」という名前らしい。食後そちらに行って管理棟のような建物に近づいてみると、名前は「ひみつ基地ドキドキ」である。「ひみつ基地」という単語に反応しない男子はいない。
施設の人を見つけられず玄関から覗いてみただけで帰ってきてしまったが、公設の児童遊園的な施設のようだ。いいねぇ。それにしても暑い。までい館と風の子広場を堪能して帰路に着く。先述したように伊達市霊山を経由して宮城県白石市方面へぬける。まずはまでい館、753の前を走るK12で西に向かう。ほどなく霊山へ向かうK315との交差点が現れるので、迷わず右折。そこから先はこれまた里山を縫う細い道が続く。この区間もやはり福島の横長の景色ではなく、山間の道路だ。飯舘村のウェブサイトに書かれているが、飯舘村はそもそも高原に拓かれた土地らしい。そうなると相馬-飯舘間や、この霊山へ向かう道が山道系なのも納得できる。
霊山に辿り着くとあとはソラで走れるお馴染の道。梁川を経由してR4で白石市へ。その後川崎町へ続くコスモスロードを村田町で離脱し、K31でごく普通に仙台市内へ帰ってきた。
飯舘村の避難指示は全面解除されたわけではない。道々に放射線量測定値を表示する電光掲示板もあった(0.2μSvだった)。放射線被害にコロナウィルス感染症まん延と、飯舘村を取り巻く環境はまだ楽観できないとは思う。筆者にできるのは、住んでいる人の糧となるようできるだけ足を運び、些少でもお金を使うことくらいだ。だから筆者はまた飯舘村に向かうだろう。