曉スタジオ的かつ20世紀末15年の個人的自動車遍歴を晒す本連載、今回紹介する1台は、人生で初めて購入した新車の話。
●有史以前●
●前史●
5.トヨタ カローラ AE100型系(1992-1999)
家人と結婚し、お祝い金の残額を頭金にして人生初の新車購入。たまたまシャリオから何に乗り換えようか考えているタイミングで、親友あにまるの家車だったカローラ(AE90型系)に乗せてもらう機会があり、その出来の良さに驚いた。あまりの好感触に他の選択肢は考えず、最初からカローラを狙っていた。前年の1991年がフルモデルチェンジのタイミングでもあった。
日本の大衆車ど真ん中としてのカローラを体験したことに意味はあると思っているが、購入を決めるまでの理路を思い起こすと、若気の至りというか、ひたすら恥ずかしい。小賢しいのだ。当時はシティ、シャリオと乗り継いで、もっと好き嫌いをはっきり自覚して、能動的に車種選択をしなければ!と思い始めた矢先だった。それはいい。そんなタイミングでのあにまる家のカローラ体験も意味があった。だが選考の思考対象にはエンジンやシャシーといったメカニズム方面はまったく含まれておらず(そもそも検分する知識も経験もないし)、内装が豪華だからそれでオッケー!であった。そんな軽薄な結論を、さも自動車全体をわかった風に導き出していた。「そこそこ走るし質感もいいし、何より静かじゃん!」と。青くさい。
そもそもトヨタの稼ぎ頭カローラの基本的な造りに落ち度があるはずもなく、あまり遠乗りをせず、走るエリアも市街地と近郊が中心であれば動的性能に大きな不満が出るはずもない。庶民の下駄がわり程度の機械なのにちょっと高品質な雰囲気だけはある。昔も今もそれがカローラの文法である。結果的に当時の筆者の身の丈に合ってはいたが、それを高所大所から見極めた上で購入した気になっていた自分がイタイ。だから黒歴史である。
自己弁護するわけではないが、このAE100型系カローラは、バブル時代に基本設計が為されたため、カローラとしてはかつてないほど上質な造りだった。当時センセーションを巻き起こしたセルシオの小型版の趣すらあった(とオーナーとしては思いたい)。車内素材のチリ合わせ精度の高さやツボを心得た制音を思い返しても、それは大げさな話ではない。2021年の今振り返っても、あれほど豪華仕様のカローラはその後も出てきていない。当然のように故障などは一切無く、人生初の(そして最後の?)安楽な所有経験となった。最上級グレードSE-Limitedに敢えて5速マニュアル。途中からはTRDのクイックシフトをインストールし悦に入っていた。
実はカローラ、積載能力も高かった。ライヴ演奏時に大量の電子楽器を積み込むことができたり、現在の曉スタジオ建立の際、引越荷物の一部を運搬できたのである。セダンボディの意外な便利さ、融通無碍な使い勝手は敢えて書いておきたい。それになんと言ってもカローラである。アノニマス(没個性)であることこの上ない。そういう意味でも便利というか、気楽ではあった。
個人史として特記すべきは、カーオーディオ地獄に足を踏み入れたことだろう。リアシート後ろにカロッツェリアブランドの巨大スピーカーを増設。内装材をビビらせつつ大音量で音楽を聴いていた。一方メインユニットは適当に選んでいたり、ドアスピーカーは純正のままだったりして、沼とは言ってもつま先が濡れる程度ではあったが。でもあれはあれで楽しかった。あとあれですね、シガレットソケットから電源を取る後付け室内照明とか(笑)。LEDの出始めで、商品ラインナップは今よりも豊富だったように思う。
2021年の今振り返って、この19歳から20代終わりまでの時期にプジョー 106やアルファロメオ スッドにでも乗っていれば、もっと運転がうまくなっていたはずである。返す返すも残念だ。スタッドレスタイヤを買えないほどの赤貧が何を言うか、ではあるのだが、今もこのことは後悔している。