戦々恐々と公開してきたこの「遍歴シリーズ」もとうとう最終回。自動車へのさしたる興味も知識もなく、中古車新車をデタラメに乗り継いできた「有史以前」と「前史」を経て、自覚的な「自動車好き」に変貌した「近代」に至る。
●有史以前●
●前史●
「近代」とは以下の3台である。
●近代●
7.プジョー 307SW(2002-2009)
8.アルファロメオ MiTo 1.4T Sport(2009-2018)
9.アバルト プントエヴォ(2018-)
しかしこれら3台のことは10年以上に渡って詳らかにブログに書き綴ってきた。が、スバル レガシイからプジョー 307SWに乗り換えて、自動車という機械の奥深さに瞠目するようになった瞬間のことは、旧ブログのこちらのエントリーに書いたきりだった。
307SWとのファーストコンタクトの話を、よりにもよってMiToへの乗り継ぎを決めたというエントリーで振り返っている。重複する要素も多いが、2021年の今の知識でも書いてみたい。
2002年、家人のお腹に下の子がやってきて(現ロードスター乗りの長男のこと)、我が家は総勢6人の家族になることになった。田舎暮らしゆえに一家全員で移動する機会もあり得る。しかし当時の我が家で保有していたレガシイを含めた3台の自動車は、どれも乗車定員が最大5名のモデルばかり。チャイルドシート装着を前提にすると、後部座席は実質2名しか座れない。そんな来たるべき家族像に合わせて、レガシイの次のクルマは6-7人乗りのモデルにしようかと、ぼんやり考えていた。
そんな折り、当ブログの技術顧問が筆者に「プジョーから7人乗りモデルが出ますよ」と耳打ちした。
まさか自分が輸入車に乗ることになるとは毛の先ほども考えていなかった。6-7人乗りのモデルを買うならホンダ オデッセイ(中古)を漠然と考えていた。消去法である。なぜなら00年代初頭の日本ではRV車が台頭しており、筆者の好みとは相容れなかったからだ。思えばあの頃のRV車流行は20年代のSUV車流行と同じ構図だが、当時の人気車種はトヨタ ハイラックスサーフ、日産 テラノ、三菱 パジェロ、いすゞ ビッグホーンなど、いわゆるクロカン(クロスカントリー)車種をオンロード用に着せ替えたもの。その中身はラダーフレーム採用のガチのクロカンである。ファッションで安全靴を履いたりするような感覚であろう。さすがにこれじゃゴツ過ぎると感じる層向けにはミニバン(日産 プレーリーやホンダ オデッセイ、三菱 シャリオ、トヨタ エスティマなど)が用意されていた。昔も今も背の低い速そうなクルマに憧れる筆者が惹かれないのも道理である(7人乗れるパジェロなんかかなり高額だったし)。となるとミニバンだがシャリオはあり得ない(笑)。プレーリーの絶妙なダサさを考慮すると、残りはエスティマかオデッセイということになってしまう。しかしエスティマの新幹線みたいなルックスがどうもピンとこない。オデッセイかぁ……。
消去法ではオデッセイしかないが、それを躊躇う気持ちもまたあった。当時、我が家の周辺にはオデッセイが溢れており(向こう三軒両隣に3台はいた)、ここに今さら自分がオデッセイを買うのも新鮮味がないではないか。欲しいのに欲しいクルマがない。多人数乗車のファミリーカーというジャンル、今なら日産 セレナ、トヨタ ノア/ヴォクシー/エスクワイア、アルファード/ヴェルファイヤ、三菱 デリカD5などから諸々の軽自動車まで百花繚乱、選び放題の市場的には直球ど真ん中のジャンルである。しかし当時ワンボックスカーは、ガチの商用車ばかり。あるいはキャンピングカー的な8ナンバー改造車両であろうか。シボレー アストロが異彩を放っているなぁという個人的概観があるばかりである。
そこにプジョーである。形がどうのこうのという前に、「自分が輸入車に乗るのか??」という未知の楽しみの方が大きかった。もちろんそこに不安がなかったわけではない。当時輸入車に関する知識は、マンガ「GT Roman(西風著)」とごくたまに読む雑誌「CG」だけである。CGはともかく、GT Romanを読んでいたことは幸いだった。ご存知の方もいるとは思うが、このGT Romanというマンガ、要は輸入車好きの日常を「楽しむ側」として描いた佳作で、故障やトラブルでの不便さを超越した快楽マシンとしての輸入車(あるいは旧車)を、時にコミカルに描いてくれている。おかげで輸入車をポジティブに捉えられる感覚を自然に身についていた。
ジャンプコミックワイド版「GT Roman」2巻と3巻から、特に筆者が好きな場面。英国車の楽しみを初心者に説く3枚目画像のシーンなど、今や筆者の自動車生活の日常風景である
そうではあるが、無知なまま飛び込むには危険過ぎる(笑)。さすがにそれくらいには鼻がきくようになっていた。しかしこの連載の冒頭に書いたとおり、この頃の筆者は自動車に対する興味も知識も、今とは比べ物にならないほど希薄だった。それなのに「輸入車に乗るオレ」には興味津々である。悩んだ結果、当時の自分としては珍しく、試乗してみることにした。株式会社イデアル/プジョー仙台にて、現在は偉い人になってしまっているIさんが対応してくれた。R4に面する当時のショールーム(現店舗の真向かいのビルの1階だった)から307SWを乗り出した時の驚きは今でも鮮明に覚えている。「ハンドルを切った分だけ曲がる!」。もうちょっと詳しく書けば、「こう進んで欲しいと無意識にハンドルを切れば、寸分違わずそのとおりにクルマが進んでくれる!」であった。そこで改めて筆者の自動車遍歴を振り返れば、PC110型系スカイライン、N12型系パルサー、AA型系シティ、D00型系シャリオ、AE100型系カローラ、BG型系レガシイである。これらは00年代から見てもひとむかしもふたむかしも前の自動車である。徳大寺有恒は「国産車もなかなかのレベルになってきたと思っていたけど、ゴルフ初代に乗ったらぜんぜんダメなことがわかった!」と『間違いだらけのクルマ選び』を書いたが、そのダメな方の比較対象とされた車群である。早い話がどれも「挙動に遊びが多い」のだ。レガシイだけは例外だが、4WDの手練れスバルとコンベンショナルなFFのプジョーとでは成り立ちもレベルも違う。スバルが牛タン専門店としてどんどん洗練していくのに対して、プジョーは冷蔵庫の残り物でも万人を舌を喜ばすプロの料理人と言っても良い。立ち位置が違うのだ。307はそんなプジョーがVWゴルフ的ドイツ車テイストに色目を使った、ある意味で迷いの多い過渡期の1台ではあったが、それでも筆者には未経験の気持ち良さである。試乗後、努めて冷静を装い、いったんは帰宅したものの、その日のうちに発注の電話をかけていた。
我が家に納車されて以降は、目からウロコがボロボロと落ちまくる毎日だった。とにかく旋回が気持ち良い。自宅前の交差点を微速で曲がるだけで目を丸くした。今思えば2.0リットルNAのガソリンエンジンに悪名高いAL4(4速AT)の組み合わせ、かつブレーキマスターは左に残したままのペダルオフセットありまくりだから、決して歴史に残る名作ではあり得ない307であり、中でも重量のあるSW(のRHD)だから、決してキビキビと運転できるわけではなかったが、それでも筆者にとっては異次元のハンドリングであり楽しさだった。
「輸入車とは、異文化の下で設計・製造された製品」であり、常に異文化と接することを楽しめるのが輸入車生活であると、筆者はプジョー 307SWに乗って初めて理解し、つき合い方を体得した。307SWを含めて輸入車を3台乗り継ぎ、友人知人の輸入車のちょい乗りを重ねた今の目で冷静に見れば、307SWの評価は清濁が拮抗する。だが出来不出来だけで307SWを断ずることはできない。決して足を向けて寝られない。プジョー 307SWはまさに筆者の自動車人生にとっての夜明けだったのだ。
了